寄付者インタビュー

INTERVIEW

株式会社住協ホールディングス 代表取締役社長 安永 久人様
INTERVIEW
Vol.01
株式会社住協ホールディングス
代表取締役社長
安永 久人
“社会に闘いを挑む” 若者たちが 育つことを願って。

1965年、北海道工業高等学校(現:北海道科学大学高等学校)をご卒業。東京都及び埼玉県で住宅建設業、不動産業を中心に経営されており、2019年には創業40周年を迎えられました。2016年度より「北海道科学大学高校夢プラン応援奨学金」他の原資をご寄付いただいております。

ご寄付・ご支援のきっかけを教えてください。

2016年、50年ぶりに中の島にある北海道科学大学高校を訪問しました。その日は日曜日でしたが、懐かしい思いで校舎を見ていると、偶然、当時の校長先生にお声がけいただきました。
校長先生は私のことを生徒の保護者と勘違いしていたようなのですが(笑)、「この高校の出身なんです」と話しをしたところ、「どうぞ、どうぞ」と校長室に招いてくださって。名簿を振り返ったり、昔話を楽しんだり、そうした中で寄付の話をいただき、奨学金基金の設立に至りました。

2023年春、中の島から手稲に校舎が移転します。
心境をお聞かせください。

母校がなくなってしまうのは寂しく思いますが、これだけグループの規模が大きくなったわけですから、移り変わっていくことは仕方がないとも感じます。私たちが高校生だった頃、学校がここまで大きくなるなんて、誰も想像もしていなかったのではないでしょうか。当時の先生方が苦労と努力してきた結果、素晴らしい学校になったのだと思いますし、それに対しては良かったという気持ちが強いです。

後輩たちや北科大グループへ期待することをお聞かせください。

私が常々社員に話しているのが「正論だけの頭でっかちになるな」と言うことです。今の世の中は学歴や偏差値が先に立ちますが、私はまず、若い世代の皆さんに「社会のルール」を身につけてほしいと思います。そのために、いろんな人とつきあって、良いことも苦いこともいろんな勉強をしてください。1+1=2が成立しないことも世の中にはたくさんあります。人とぶつかること、時には喧嘩をすることも必要ですし、経験するべきだと思います。
学歴だけの世界なら、限られた人が全てをシェアしてしまいますが、しかし現実は違います。なぜ私たちが“メシを食えているのか”と言えば、感覚があるからです。頭の中で考えた正論や理屈では割り切れない、経験や行動で得てきた世の中のルールや仕事の感覚を知っているからです。高校や大学の先生方には、若い世代にもっと社会のルールを教えてほしいと思います。学校では勉強だけで生きていけても、社会では勉強だけで生きていくことは難しいですから。もうひとつ、若い世代の皆さんに伝えたいのは、中高生になると親に反抗心を持つようになりますよね…?その気持ちを社会に対して向けてみてください。そして自らの道を模索してください。世の中に疑問を持ち、社会に闘いを挑むような気概のある若者がたくさん育つことを期待しています。

株式会社田中組 理事 営業部 部長 奈良岡 修様
INTERVIEW
Vol.02
株式会社田中組
理事 営業部 部長
奈良岡 修
“人とのつながりを大切に、 学生生活を謳歌してほしい。”
“人とのつながりを 大切に、学生生活を” 謳歌してほしい。”

1992年、北海道工業大学(現:北海道科学大学)工学部 建築工学科をご卒業。一級建築士の資格取得後、現場代理人として教育・文化施設、民間施設など数多くご担当され、現在は営業部にてその手腕を発揮。法人創立100周年記念事業寄付金をはじめ、+Professional奨学基金、大学開学50周年記念事業に関してもご寄付いただいております。

学生時代の思い出をお聞かせください。

大学に入学後はバスケットボール部に所属し、部活に明け暮れる毎日を過ごしていました。卒論では、雪氷に関する研究に取り組みました。真夏にも関わらず防寒着を身につけ低温室での実験など、タフさが必要なゼミでしたが、団結力は強かったですね。夏は海へ、冬はスキーへ、勉強も遊びも楽しむ、そんな濃密な学生時代を過ごした記憶が強いです。他のゼミ生との関係も良好で、学年を追うごとに知り合いが増え、さまざまな人とのつながりができたことが、学生時代の大きな財産だったのではと、今、振り返って感じます。

ご寄付のきっかけを教えてください。

数年前に、息子が建築学科に入学したことがきっかけでした。出身学科だったことや、また学校にお世話になりますので、何かしらの形でご協力できることがあればと思い寄付させていただきました。活用方法については具体的な思いはありませんでしたが、学生さんたちへ充実した学生生活につなげていただければという思いでありました。
コロナ禍で教室での授業がないことや通学の機会が減っていると息子から話を聞くことがあり、リモート授業などを便利で現代的だと感じる一方で、やはり仕事も学びも対面だから得られるものが必ずあります。私自身“人とのつながりの大切さを”学生時代に身を持って体験しているからこそ、現役学生の皆さんにも人とのつながりが希薄にならないような人間らしい学生生活を送ってもらい、社会に貢献できる人たちの学ぶ場になればと思います。

ご自身の業界から見る、
北海道科学大学の強みをお聞かせください。

長い歴史のある大学で、数多くの卒業生を輩出しています。現場では建築学科の卒業生以外にも、機械系学科や電気系学科の出身者と出会うことも多く、初対面であっても同窓のよしみで親近感がわき、お互いに分かち合えることが、また仕事へとつながっていく。そういう卒業生の層の広さや厚さが我が大学の良さだと感じます。
2024年には法人が創立して100周年を迎えますが、先人が築いてきた歴史を絶やすことなく、さらなる北海道や社会のために貢献できる大学であってほしいと感じますし、これからも長く歩みを続けてほしいと思います。

インタビュー後、2023年春に中の島から前田キャンパスに移転する、北海道科学大学高等学校の新校舎を見学していただきました
学校法人須合学園 札幌みづほ幼稚園 理事長 須合 國彦様
INTERVIEW
Vol.03
学校法人須合学園
札幌みづほ幼稚園 理事長
須合 國彦
“粘り強さを学んだ学生時代。 仲間や教員との絆は一生もの。”
“粘り強さを学んだ 学生時代。 仲間や教員との 絆は一生もの。”

1974年、北海道工業大学(現:北海道科学大学)工学部 電気工学科をご卒業。卒業と同時にお父様の設立された「札幌みづほ幼稚園」に入職。同園の園長、理事を経て2010年より現職。一般社団法人札幌市私立幼稚園連合会、公益社団法人北海道私立幼稚園協会、全日本私立幼稚園連合会などにて要職を歴任。大学卒業から現在に至るまで半世紀にわたり幼児教育に尽力されています。

学生時代の思い出をお聞かせください。

在学中は協学会に所属し、大学祭などイベントの裏方に力を注いでいました。学科を超えた良い仲間たちとの出会いがあり、教員や先輩にも支えられ、楽しい学生生活を過ごすことができました。私が卒業するのと同時期に、札幌市の人口急増を背景に父が「札幌みづほ幼稚園」を設立。無論私は電気職での就職活動を進めていたのですが、幼稚園の事務職員のなり手がおらず同園の事務長として入職を決めました。
就職してから10年ほどは電気職への憧れが残っていたでしょうか(笑)。しかし、一見畑違いに見える「技術者」と「幼稚園教諭」には共通点がありました。技術者はシステムが動くまで決してあきらめず、幼稚園教諭も授業の準備にハマると没頭する、お互いに職人気質な面。日々、さまざまな課題に直面しますが、学生時代に学んだコツコツ解決する粘り強さが、今の仕事に活かされていると感じます。教員の皆さんの熱心な指導が、社会に出てからも粘り強く頑張れる学生の基礎を育てているのだと思います。

ご寄付のきっかけを教えてください。

大学の副学長として活躍されていた有澤準二教授が同期だったつながりで、同窓会活動に参加するようになりました。1986年に副会長に就任後、同窓会の活動にも長く携わりました。一度関わったら最後まで応援したい気持ちが強く、少しでも役に立てればと思っています。お世話になった先生方、先輩・後輩、同窓会の仲間たち。何度もキャンプに出かけたり、仲間の卒業研究を手伝ったり、思い出は尽きません。全てが楽しかった学生生活が根底にあります。

母校への期待と後輩たちへのメッセージ。

私の仕事とも関連しますが、超少子化の中で教育を未来に向かって発展させるには、小手先の努力では乗り越えていけません。親世代の人口がピーク時から1/3以下に減少していく社会を考えると恐ろしくなります。厳しい時代を乗り切るために、世界を視野に入れた学習プログラムを確立して、日本の未来の扉を開けてほしいと思います。 学生の皆さんには仲間を信頼し、大切にし、簡単には諦めない“粘り強さ”を身につけてほしいと思います。最近は就職活動にも便利な支援サイトがありますが、他人任せの就活で本当に良いのでしょうか。自らの目と足で、自らの未来を開拓しませんか。努力は将来のプラスになるはず。最後は自分で決めることを大事にしてください。

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